キーストン(由来:ペンシルヴェニア鉄道の超特急”キーストン号)
自分が生まれた年のダービー馬の話を。
前年、新幹線が開通し東京オリンピックが開催され高度成長急の真っ只中、後20年にわたって史上最強馬の称号を得ることになるシンザンが戦後初の3冠馬になりました。
その翌年、昭和40年5月30日のダービー。まだ、自分が生まれる3ヶ月前。
1.2倍の大本命ダイコーターを尻目に不良馬場をものともせず、逃げ切り勝ちを収め第32回ダービー馬の栄冠を得ました。
しかし、キーストンは快速馬にありがちな脚部不安に悩まされるようになります。暫く休んでレースに復帰しては勝ち、休んでは勝ち・・・。キーストンは強かった。
そして昭和42年12月17日、阪神競馬場では、阪神大賞典(芝3100㍍)が行われました。六甲おろしが吹き付ける中、5頭ががスタートを切りました。
・・・しかしゴールしたのは4頭でした。そうです、キーストンはゴールできませんでした。
以下は某サイトからの抜粋です。
「四コーナーを回った時、突然、キーストンの小柄な馬体がラチ内に沈んだ。山本騎手は宙を飛んでターフに叩き付けられた。キーストンももんどりうって、半転、一転。傍らを後続馬がドドドドと駆け抜けて行く。
キーストンの左前足は完全脱臼。今や皮一枚で繋がっている状態で、立ち上がろうにも全く用をなさない。彼方では山本騎手が脳震盪をおこして、ピクリとも動かない。騎手の方を向いて首を振りもがいていたキーストンは三本の足でやっと立ち上がると、一歩また一歩と、昏倒した騎手に向かって歩き始めた。
馬が三本足で歩くなど想像も出来ない観客は、心のうちに叫んだ。「キーストン、もう歩かなくていいよ!」「それ以上歩いてはダメだ」 どの馬が勝ったかはもうどうでも良いことだった。実況のアナウンサー松本暢章は涙声となってキーストンを追った。パドックやインタヴューのアナウンサーでキーストンの最期を看取ったのが、杉本清。テレビカメラすらキーストンの姿を追いつづけた。歩いてはいけない!最早手の施しようも無い完全脱臼とは人々も気づかない。まさか完全脱臼の馬が歩けるはずが無いのだ!
キーストンはやっと倒れている山本騎手の所に辿り着くと、心配げに鼻面を摺り寄せ、二度三度起こして立たせようとする。人々の目に、それはまるで、母馬が起き上がれない子馬を励まして、鼻面で優しく立たせようとしている姿に見えた。
山本騎手はその時見た。彼は気絶していてキーストンの骨折を知らなかったが、ボンヤリした視野の中で大きな悲しそうな目、済まなさそうにしばたたく愛馬の目をみた。山本騎手はキーストンの摺り寄せてくる鼻面を掻き抱いて「いいよ、いいよ」と撫で、駆けつけた厩務員に手綱を渡すと、また意識を失っていった。
暫くして甦生した山本騎手は、愛馬の骨折と死を聞いて泣いた。激痛と苦しみの中でキーストンは、なぜ自分をあんな優しい目で見詰めたのだろう?別れを告げに来たのだろうか?テレビで、観覧席で、パドックで、皆、涙してキーストンとの別れを惜しんだが、一番精神的ダメージを受けたのは山本騎手であった。彼はキーストンと別れてから、馬に乗れなくなってしまったのだ。「もう騎乗出来ない」。一時は引退まで考えたと言う。現在調教師の山本正司は、キーストンの話が出ると今でも涙が止まらないと。山本の親友杉本清は、だから山本の前でキーストンの話しができない。
快速馬キーストンは光とともにターフを駆け抜けて、そして、逝った。」
≪今日のキタコレ≫
「涙が出たときは、ソバを喰え!『ズルズル』音で掻き消すのだ!ただし、汁に鼻水が入るから気をつけろ!w」
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コメント
最近更新されませんね・・・
結構楽しみにしてるんですよ
体調を崩されているようでしたら、ご自愛ください
投稿: 小笠原諸島 | 2006年1月27日 (金) 19時31分